琵琶楽の流れ / 琵琶楽の歴史2 / 近代琵琶歌から現代の琵琶楽へ(薦田治子)
 

④ 近代琵琶歌から現代の琵琶楽へ (P.431・432)

 橘旭翁が大正8年(1919)に、永田錦心が昭和2年(1927)に、世を去ると、琵琶界には次第にかげりが見られるようになり、第二次世界大戦後はGHQの干渉もあって、近代琵琶歌はすっかり沈滞する。その衰退を嘆いた薩摩琵琶正派の辻靖剛らは、昭和34年(1959)に日本琵琶楽協会を設立し、流派を超えてコンクールや演奏会を開催、後継者の育成や琵琶楽の再生をはかった。田邉尚雄、吉川英史、金田一春彦らが会長を務め、戦後の琵琶楽復興に大きな役割を果たした。演奏レパートリーから近代戦争ものが姿を消し、往年の名人の演奏が古典作品として演奏・伝承されるようになった。一方で時代にあった作品の創作も試みられ、錦琵琶の水藤錦穣が新作を発表していたし、また錦心流に正派の奏法なども取り入れた物語琵琶(浅野晴風)、錦琵琶に錦心流を取り入れた鶴田琵琶、琵琶歌から生まれた詩吟を利用した琵吟(山崎旭萃)など、さまざまな動きが見られる。流派や種目を超えた創作も試みられるようになってきた。

 琵琶界に西洋音楽の影響が出始めるのもこの時期である。筑前琵琶旭会を率いる三世橘旭翁は、昭和20年(1945)に家元を継ぎ、舞曲、変奏曲などの洋楽の音楽形式を用いたり、琵琶歌にヴァイオリンを用いたりして、西洋音楽に強い関心を示した(『筑前琵琶日本旭会歌曲総覧』)。洋楽の作曲家たちが、和楽器のための作品を作曲するいわゆる「現代邦楽」の時代になると、武満徹が映画音楽の作曲で用いた鶴田錦史の琵琶の可能性を発見し、尺八と琵琶のための《エクリプス》(1966年)や、尺八、琵琶、オーケストラのための《ノヴェンバー・ステップス》(1967年)などを作曲した。これらの作品により、従来の琵琶歌とはまったく異なる琵琶楽の世界が生まれた。

 現在では、古典の継承のための新たな教本作りや、楽器の普及のための安価な琵琶試作も行われている。和洋を問わず、他の楽器との合奏を試みたり、楽器を改造して新たな表現を試みたり、ポップス系の音楽の演奏に参加するなど、さまざまな動きが見られる。また映画や舞台、テレビ番組などの音楽としても、琵琶は一定の役割を果たしており、新しい感性で琵琶に魅力を感じる若い世代も育ってきている。

 

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